Jungla de Cemento 南米在住アーティストのブログ

la voz del paraguay〜パラグアイで音楽、アート活動をするTomikoのブログ!Noisy Graphics! Rebel Music!

今だから語れること。南米パラグアイでCOVIDワクチンを打ってみた。

2021年5月〜7月、

パラグアイのCOVIDの死亡率は世界一となって、

その他ラテンアメリカも悲惨な状況だった。

パラグアイの次はウルグアイ、アルゼンチンと

次々と状況が悪化していく中、

 

政府がワクチン対策を放棄したパラグアイ

アメリカ合衆国から国民のほぼ全てをカバーする量の

ファイザーワクチンが届いた。

既に多くの人が亡くなった後のことである。

 

どれだけのお医者さんが亡くなった?

どれだけの教師が亡くなった?

もう遅いよ。。

ワクチンを求めてた多くのお医者さんが

ただ亡くなっていた。

家族全員亡くなった人もいる。

 

詳細は↓↓

arditomiko.hatenablog.com

 

みんな落胆してた。

みんな家族の誰かを失った。

家を失った人、仕事なんて補償されない。

道端で食べ物を売ったり、

訴えを起こしたり。

 

SNSは薬を求める人、

分け与える人のコミュニケーションの場所になってた。

 

病院には酸素すら不足してた。

ICUに入れる一握りの人。

 

多くは治療も受けられず亡くなった。

病院の床に倒れる人、

家のソファを寄付する一般市民。

病院の外でキャンプをする家族。

 

後に政府が立てた家族待機用の簡易テントに

みんな怒りをぶちまけた。

馬鹿にしてるよね。

 

めちゃくちゃだった。

 

日本にみなさんがみてきた現実とは

きっと全く違うだろう。

 

ファイザーワクチンの接種が始まって、

すぐに私の番がやってきた。

 

パラグアイは40代以下の人口がめちゃくちゃ多い。

40代の私にはすぐに順番がやってくる。

 

たった700万人の人口。

 

家の一番近くの接種会場に出向いた。

軍隊病院。

 

決して治安のいいところではない。

 

旧市街から廃墟のような街を通り

川縁の病院へ行く。

 

到着したら、救急車を

防護服の看護師たちが迎え入れていた。

そう、こうなったらこの国では3割が死ぬんだ。

私も感染したら、高確率で死ぬ。

 

その脇を通り、接種会場へ。

 

軍人に番号札を渡される。

 

会社員、公務員、主婦、日雇い労働者、ホームレス、

いろんな人が並んでる。

 

パラグアイのいいところは、

市民カード番号を登録するだけで

誰もがワクチンを接種できること。

 

天井からベローンと板が剥がれ落ちているような

暗い廊下にならばされる。

 

軍人が見張ってる。

だって軍隊病院だから!

悪い意味じゃないよ。

 

けど世も末感が半端ない。

 

この世の終わりみたいな光景だ。

 

みんな言葉すら交わさない。

陽気なパラグアイージョたちが

静かに順番を待っている。

 

世も末感が半端ない。

生きるってとっても大変だと思った。

 

死ぬってとっても恐ろしいって思った。

 

私は生きていたいと思った。

 

私は自由が欲しいと思った。

 

私は幸せになりたいと思った。

 

私はこんな現実が嫌だと思った。

 

私はとても辛かった。

 

地獄のようだと思った。

 

あと少しでこの国を出られると思った。

この恐怖から解放されると思った。

 

とても怖かった。

 

死にたくなかった。

 

子供がいるのに放っておいて

外国で死ねるわけがない。

 

少しだけ救われた気がした。

 

日本の人は多くの人がワクチンを打ったら死ぬって

言ってたけど、

 

もちろんそんなことすら

恐怖に感じたけど。

 

私はワクチンを打って少しだけ救われた気がした。

 

これでこの地獄から逃げることができる。

 

2021年、パラグアイの旧市街は

真っ暗だった。

 

地獄だった。

 

地獄でしかなかった。

 

この1ヶ月後、2回目のワクチンを打つんだけど、

この地獄の病院に

人々の笑顔が戻る。

 

1ヶ月で世界が180度変わったのである。

 

そこには防護服もなかった。

談笑する看護師たち。

 

みんないろんな考えを持っている。

思想はきっと自由だろう。

けれど私がみてきた現実はこれだった。

 

 

 

arditomiko.hatenablog.com

 

 

2回目の接種の日は気候も良く。

心も明るくなった。

 

車も人も随分増えた。

 

ゴーストタウンに人が戻ってきたのである。

 

7ヶ月のロックダウン、一年以上の外出制限

デモ、死亡率世界一を経て

 

8月末のパラグアイ。。

 

まだ学校は閉鎖していたけど。。

 

このあと10月ごろから段階的に多くが戻り始めた。

 

空白の一年半を埋めるように。

 

この流れはワクチンの普及のせいなのか、

多くの人が感染し、集団免疫ができたのか、

ただの時間経過か私にはわからない。

 

ちなみに隣国ブラジルは早くから

中国製のワクチンを打ってた。

ブラジルは治験を引き受けたはず。

アルゼンチンはロシア製のもの。

アフリカの人がワクチンを拒む理由は

わからなくもないよ。

ラテンアメリカだって

同じように扱われてるんだ。

 

そういうことも踏まえて、

日本の人には無縁だし、

もしかしたら、日本では打たなくていいのかもしれない。

 

けれど、これが私たちが経験したこと。

たくさんの人が死んだ。

先進国と新興国

豊かさと貧しさ、

人間の意識

私は目の当たりにしたよ。

 

私は2021年を忘れることはないと思う。

一生忘れない。

 

ゴーストタウンを、喧騒を

恐怖と悲しみを

忘れることはないと思う。