Jungla de Cemento

la voz del paraguay

父と私:日本人という曖昧さ

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Hola!

Tomikoです。

注意:この写真は息子ではありません。

私の外観、よく日本人には見えないと言われます。

日本ではしょっちゅう英語で話しかけられていました。

そんな私のルーツについて。

今日は少し書きたいと思います。

私の父は日本人です。

でもここパラグアイではMorenoと呼ばれる褐色の肌をしている。

南米では人を良く肌の色で分ける。

南米大陸はMestizo(混血)文化だから、

偏見ではなく、パラグアイだったらBlanco(白人系)、

Moreno(インディヘナ及びアフリカ系)みたいな感じ。

うちの父は正にMorenoと呼ばれる肌の色をしている。

 そして物凄くマッチョで、骨太、身長は小さいけど体格が全く違う。

 

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だから私は、小さい頃から肌の色について、

人種についてたくさん考えた。

 

私は母に似て色が薄い。

でも顔は父のように濃い。

Morenoの父と、アジアな母、

そして息子曰くParaguayaな私、

姉はアジアな目とMorenoの混血のようなイメージ。

何故か私だけが

まるで別の国籍の子供のようになってしまった。

 

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国籍不詳な赤ちゃん。

よく「外人の子」と

間違えられ写真を撮られていたらしい。

 

私達親子は戸籍上は日本人である。

けど見た目が明らかに”普通の日本人”とは違う。

父も私も。

私達を見て笑う人もいたし、父はアイヌと呼ばれていた。

 

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どっちかというと、南米?だけど。

脂肪はないがとにかくめちゃくちゃ体格がいい。。

戦時中、中学生だった父は、年齢的に徴兵をギリギリ免れたけど、

多感な時代の理不尽な経験もあり、

後の人生を放浪した。

特に芸術に興味を持ち、ファッションを学ぼうとしたり

俳優オーディションに受かったけど、安月給に幻滅したり。。

そして、南米への移住も視野に入れスペイン語を勉強した。

結局日本に残って、水質管理の化学研究を行う傍ら、

その薬剤を用い、カラーフィルムの現像技術を

国内で広め、指導するなど、写真家、写真技術者としても

活動していた。

父曰く、当時Kodakしかカラー技術を持ってなかったらしくて

父は職権乱用?で独自にカラー現像を行ってたらしいんだけど、

フジフィルムにその技術を教えに行ってたんだって。。

 

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我が家にはたくさんのカメラがあり、

幼い頃から気軽に触れていた。

私がデザインや美術に興味を持つようになったのはそういう理由かな。

洋裁学校の家系に育った母は、

イカラで、自分の服や子供たちの服を

いつも仕立てていた。

映画が大好きな母。

アランドロンやエルビスプレスリーの大ファンだった。

 

幼い頃、エルビスプレスリーが黒人の声を持つ白人=

人種を超える存在であることを知り、(実際にはちょっと違う)

オールディーズ・ロックが大好きになる。

エルビスにチャックベリー、リトルリチャード、ファッツドミノ

バディホリー、カールパーキンス、ジェリーリールイス

チャックベリーとリトルリチャードの曲は未だにたまに歌ってる。

 

当時黒人アーティストの曲を白人にカバーさせて放映するというのが

白人ラジオ局では普通に行われていたそう。

カバーされない曲を作るためにリチャード達はテンポや歌詞を工夫したらしい。

結局カバーされたパット・ブーンTutti Fruttiは全米チャート一位。

 

 

その頃ちょうど、CDという文明が

一般化されたんだけど

父は、CDコンポと共に

アメリカン・スタンダード、映画のサントラ

ビートルズなどのCDをたくさん購入した。

 

私はビートルズには目もくれず、

ルイアームストロングやベンEキングばかりを聞いていた。

 

 

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父についてアイヌと笑う人たち

他にも当時まだまだ根強く残っていた部落問題について

理解のない人たち

西成あいりん地区について。

当たり前にうわさや悪口、嘲笑を耳にした時代

人種や生まれで人を分けること、人、

そんなものに激しく嫌悪を感じていた。

 

私はアイヌ文化にとても興味を持っていたし、

何にも知らなかったとは言え、北海道土産の木彫りの熊でよく遊んでた。

それに、後に混血の大陸、南米にはなんとなく憧れを抱くようになった。

 

とにかく生まれや人種、皮膚の色で人を分けることを異常なまでに嫌っていたのである。

凄く幼い頃から。

父も私も見た目によって虐げられているように感じてた子供の頃の私。

日本という国に違和感も感じてた。

 

 

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ダンスは救いだった。

写真は10歳の頃のステージ。

ジャズやモダンダンスのお陰で多く音楽を知った。

世界のいろんな音楽で踊った。

宝塚音楽学校を目指し、

ダンス部が当時関西で一番と言われていた学校に中学受験をした。

 

しかし、規則に雁字搦めの世界に

苦しくなり、私は脱落した。

 

私が好きなのはこんな自由で

エキサイティングで、かっこいい表現だもの。

 

 

中学3年生にもなると

毎週のようにクラブに通うようになった。

当時大阪で一番尖ってたクラブ・ダウン。

ラジオを一日中聞いて好みの音楽のカセットテープを作り、

テレビをつけたらビデオをセットし、好みの音楽や映像を記録した。

BS放送が我が家にやってきてからは、

映画を延々見続けてたし、

好みの映画がないか

好みのラジオがないか、毎日、新聞をくまなくチェック。

学校の帰りは毎日、本屋とCD屋へ。

 

オタクなのかマニアなのか、危険レベルである。

 

この頃に出会ったのがそう、Nirvanaですよね。

時代的に。

 

高校時代もスポンジ生活を続け、

RANCIDやらメロコア人気に付け加え

セックスピストルズ再結成で注目の的となった

70年代オリジナルパンク特集のテレビを見た時に

私は衝撃を受ける。

 

The CLASHとの出会い。

 

 これがレゲエのカバーソングであることを知り、

さらに衝撃を受ける。

 

この後に、ReggaeやSKA、強いていえば、

UKの人種間を越えた文化にどっぷり浸かる事になる。

 

私がこういう音楽に夢中になったのは必然。

虐げられた人々の奏でる音楽を私は必要としていた。

そしてそこからの解放を求める音楽を。

 

69スピリットを右傾化が進む

70年代後半によみがえらせたスペシャルズ

ルーツとなったオリジナル・ダンディ・リビングストーンへのリスペクト

ジャマイカン・レジェンドでありながら

キューバにルーツを持つリコ・ロドリゲスがここにいる理由は

物凄く大きい。

私にとって60年代後半から続く、人種を超えた波と

追いやられても訴え続ける音楽こそが

憧れそのものだった。

 

インターネットも情報もない中、

この2トーンは、人種のことで、

大きなメッセージがあるんだ!

ってずーっと主張し続けた。

誰にも頼まれてないのに。笑

ほんとに日本でそんな話を聞いてくれる人なんて

いなかったんだよ。当時は。

 

20代になってそんなことを

ただひたすら訴えてた。

こちらも右傾化した日本のパンクシーンに。

だからいまだに私のことを毛嫌いしてる人は

めちゃくちゃいる。 

 

キング牧師

ブラックパンサー党

チェ・ゲバラ

ネルソン・マンデラ

歴史においても夢中になったものは同じである。

抑制からの解放

自由、平等を常に求めている。

 

ノッティング・ヒル・カーニバルに行きたい。

いつか。 そんな古い願いをふと思い出した。

 

随分話は逸れたけど、

日本人というカテゴリは曖昧なものだと思う。

例えばパラグアイ

ここでは長い間、政府がアフリカからの奴隷売買を否定してきた。

けれど最近の研究では人口の50%がアフリカ系だったと発表されている。

今はたったの1%。

日本だってわからない。

いろんな民族が住んでいる土地じゃないか。

弥生に縄文?琉球アイヌ、オホーツク系民族、南方系民族、、、

 

他にも、南蛮人は多くのアフリカ系民族を奴隷として連れて日本に来ているんだから

父もモンゴロイドとアフリカ系のMestizoの子孫だとしても不思議はない。

見た目がちょっと南米っぽいといわれても、それなら納得できる。

これは飛躍した話だけどね。

あり得るということを言いたい。

日本人だって奴隷船に乗ったって話も聞いたことあるし。

(日本人の奴隷としてのは売買はすぐに禁止となったらしい)

 

日本人はこんな顔ってパラグアイにいると

目を吊り上げたアクションを良くされるけど、

それはイメージであって、

実際はいろんな顔の人がいる。

ちなみに最近分かったことは、

日本人の前ではつり目のアクションをしないということ。

Mestizoの人は良くされるというが、

普通の日本人はそういうことを言わない。

ということは人を選んでやっているということ。

私はしょっちゅうされる。

あなたはこれじゃない。

と言ってアクションをする。

東アジアのステレオタイプな人に対しては、やらないのである。

これは、確信犯的である。

 

だけど、海外の人がそうしてアジア人を一括りにするならまだしも

日本人だって自分たちの顔を一括りにしてるじゃないか。

私のような顔がいたら整形かハーフだって決めつけるでしょ?

私は日本だってMestizoの国だと思ってる。

 

 

うちの家系は尼崎城に仕えた武士の一族で、

墓参りは尼崎城の指定墓地に行くし、

その時代からの家系図も残されている。

みんなが否定したくても

見た目が違うって笑っても

私達は日本人なのである。

 

嬉しくもなんともないが日本人なのである。

外人、日本語わからないと言われ

この国、私の居場所じゃないって思ってたけど

私は日本人なのである。

残念なことに日本人なのである。

 

子供と顔が違うって

整形だとか犯罪でも犯してるみたいに言われても

私は日本人に生まれてたけど

こんな顔で赤ちゃんの時から

おかしなルックスだったのだ。

 

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みんなが日本人顔といううちの息子ですら、

目が細いなだけで、骨格や肉付きは

やっぱりみんなの言うステレオタイプとはちょっと違ったのである。

てか私にそっくり。。笑

目が大きいかとか細いかってあんまり問題じゃない。

目だけ大きくても怖いだけやし。。

顔ってのは骨格からなってて、

筋肉や骨によって作られてるから。

私がでか目加工なんかしたらめっちゃキモくなる。

だって骨格に沿ってないねんもん。

宇宙人みたいになる。

けど、回りは私を見て怪しいっていう。

不自然だとか、どうとか、、

見た目がちょっとおかしすぎるって。

なんでそんなん言われなあかんねん。

 

ダビンチが人間の骨格から研究したように

絵描きでもある私は

一番そういうのにシビアやのに。。

まあいいや。

 

 

どうでしょう?

日本人の定義がいかに曖昧か、皆さんそろそろ

理解できた?

 

国なんてどこもそんなもんだよ。多分。

たまたま島国だったからちょっと閉塞的なだけで

いろんな人が行きかい、

世界は回ってきた。

 

だからね、

日本人であろうがパラグアイ人であろうが何人であろうが

所詮関係ないの。

 

私は自分の見た目がどうも気に食わなかったけど

結構いろんな国で、

親しまれる顔らしくて

どこ行っても同胞呼ばわりされてきた。

うちの国とのMestizoでしょ?みたいな感じ。

だから、今では凄く気に入ってる。

 

人種って凄いあやふやだって

自分の存在で証明できるから。

 

その理由は

私のお父さん。

 

幼少期からきっと私は

この道を選んで歩んできたと思う。

そういう名のもとに生まれたんだな。

きっと。

 

人間を人種や生まれで判断するものに

抵抗する事を使命として生まれてきたのかもしれない。

 

そのための試練として

このルックスが与えられたんだと思う。

 

海外に行ってもこんな顔だとありがたがられないよ。

日本から来ました。。

いや、、日本人ちゃうやんって。。

ハーフやん。ここ生まれやろ。どうせ。

みたいな。。

 

別に他の人種に

憧れてこんな顔になった訳でもないし、

試練なんだと思う。

 

その分伝えられることが

あるって信じてるし、

これを読んで少しでも何か感じてもらえれば

嬉しいです。

 

基本的に私の身の上話には

同情を誘う目的はなく、

ただ、訴えたいことを実体験を通じ

よりわかりやすく

説得力を持って

伝えたいという

そういう思いしかありません。

 

世界中に排外主義者はたくさんいて、

宗教や人種で人を罵ったり

行き場を失った、移民や難民を

苦しめたりする。

 

だって、政府が自国民を警察の暴力を介して

弾圧する時代なんだもの 

それが今の世界なんだもの

だからもうね、人種の違いだとか

国籍や宗教なんて

大きな問題ではないんだ。

 

今の世界を、独占したい一握りの人たちに

やりたい放題にさせてきた

つけがここにある。

本気でみんなで世界をシェアしたいって

望むことの方が、ネットで狭くなった世の中

もっと有効な解決策だと思う。

 

人種の定義を語るより、

多様性を祝って

共にシェアしてることに

感謝しようぜ!

 

 

 

xx

 

tomiko