Jungla de Cemento

la voz del paraguay

アルゼンチンへの日系移民の第一波が辿り着いた街:サエンスペーニャ

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Hola! Tomikoです!

めげずに旅ブログ続けます!

今皆様から頂いたブログ投げ銭で、

板タブと呼ばれる、タブレットとペンを

購入しようかと悩んでます。

前回はミキサーを購入させていただきました!

そして今回のプロジェクトが始まりました。

音源ができるよりも先にツアーに出発しましたが。

音源も順調に仕上がり、

次はグラフィック!

しかし、パソコンはもう使い物にならず、、

買い変えようにも、コロナウィルスの影響で

収入は激減、という訳で、

ケータイに繋いで絵が描ける安価なタブレット

購入しようかと今考えています。

タブレットはこれまで一度も使ったことがないんですが

ずっとタッチパッドベクターグラフィックを書いていたので、

(現在はマウスで書いてます。)

それよりは性能が高いのではないかと思います。

液晶タブレットの方がいいのかな。。。

ケータイに繋いでグラフィックを製作しようなんて

惰性ではいいもんは作れませんかね。。号泣

 

もう少し使用方法、そして、、、

パラグアイへ配送して、郵便局で盗難にあわないかどうか

調べて検討したいと思います。

今回は日本とパラグアイを行き来する運び屋さんがいないどころか、、

現状、誰も世界を行き来できる状態にないので、

超リスキーな郵送しか手段がないんです。。

 

本当にパラグアイは、あり得ない国なので。。

当たり前のことが当たり前にできません。

家まで届けてくれるわけもなく、、、

郵便局に取りに行くんですが

誰が知らせてくれるの?

誰も知らせてくれません。

 

職場の学校だったら一応知らせは来るけれど

お金もかかるし、とりに行かなきゃいけない。

けど、その学校も現在閉鎖状態。。

どうしたらいいんでしょうねー。

タブレットなら小さいから郵送OKだと思ったんだけど。。号泣

折角買っても盗まれちゃったら意味がないもの。

もう少しよく考えないと。。

 

本題に戻ります!

前回、ブエノスアイレス~ラ・プラタの放浪記をまとめました!

↓↓↓ 

目次

 

 

 

 

1.チャコ州サエンス・ペーニャ:ブエノスアイレスからの距離は?

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今回はアルゼンチン北部、チャコ地方へ!

チャコといえば、2年前かな?

レシステンシアに行きましたね!

↓↓↓ 

 

サンタフェ州へ行った帰りに立ち寄った街です。

このレシステンシアからチリ・ボリビア方面へ約170km地点に

Sáenz Peña(サエンス・ペーニャ)という街があります。

La Plataからの移動距離は、、、、、

約1160km!!!

東京からバスで札幌に行く感じでしょうか?(約1100km)

南米のバス旅ではこれが普通です。

La Plataのターミナルから丸丸一日かけてのバス移動です!

 

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Emilyともお別れ―!

大好物のToddyをもらって喜ぶ息子!

Toddyはアルゼンチンのチョコチップクッキーだよ!


 

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1000Kmのバスの旅!出発~!

CicoとTomikoは全然違うけどなんか似てる。

この写真、私、シワだらけでひどいけど、

たまにCico、私に似てて、キモいと思うことがある。笑

 

生き別れになった弟がはるばる会いに来てくれた感じ?

でも全然違うしー。爆笑

そもそも人種が違うーーーー!

一つも接点ないー。

顔も全然違うー。でもたまにキモいほど似てると思う。

不思議ですね。世の中って。

それだけ人間ってさ、近い生き物なんだと思う。

アジア人も、アフリカ人も、ヨーロッパ人も、ラティーノ

あんま遠くないのかもしれないよ。

ではでは、行ってきますーーーー!

 

2.サエンス・ペーニャという街

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地方都市。

世界共通にかわいらしい。

この雰囲気。

地方都市ならでは。。。

サエンス・ペーニャは、チリとボリビアパラグアイにも比較的近い

首都ブエノスアイレスよりも他国の方が近い。

移民も多く、独特の文化があるらしい。

そんな小さな地方都市。

もうこの時点でやばいっす。

最高です。

 

 

Sáenz Peña/ サエンス・ペーニャ



3.日系移民との意外な関係

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1925年、高島屋ブエノスアイレス支店長をしていた石井忠吉氏が

このサエンス・ペーニャに綿花工場を開いたことで、日本人移民を数十人

入植させたのがきっかけとなり、日本からアルゼンチンへの直接移民が

年間100名を超えるようになったと言われている。

 

そもそもアルゼンチンの日系移民はいつどこから来たのか。

Wikiによると初めてアルゼンチンに来たのは、

奴隷として連れてこられた日本人、

そして1957年に自身の身分を不服とし訴訟を起こし、

解放を勝ち取ったフランシスコ・ハポン氏と記されている。

日本人が奴隷として船に乗せられたという話は確かに聞いたことがある。

 

その後19世紀に本格的な日本人の海外移住が始まったという。

1886年、牧野金蔵氏が初めて日本人としてアルゼンチンに移住、

後に牧場経営などでも日本人はアルゼンチンに移住している。

20世紀にブラジル移民が解禁となり

1908年にブラジルへの移民船笠戸丸の乗員のうち

ブエノスアイレスで160人が船を降りたという。

彼らはブエノスアイレス近郊でTintoreria(クリーニング屋)などの

経営を行ったという。

戦前の移住者は沖縄や鹿児島からが大多数だったらしい。   

そして1925年のサエンス・ペーニャへの数十人規模の移民。

かなり早い段階でこの地に多くの日本人が移住したことがわかる。

現在近隣のレシステンシアやコリエンテスにも、多くの日系人が暮らしている。

 

第二次世界大戦時には1000名を超える日系移民が暮らしていたという。

その後、年間100人単位での移住が進んだらしい。

 

こんな歴史があったとは。。。

しかし、残念ながら現地で日系移民の方にお会いすることはできませんでした。

韓国系の商店はあったよ!

 

 

 

4.シエスタ

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2月の南米ではバケーションシーズン。

そのせいなのか、いつもなのか、

日中どこも開いてません。

朝と夕方以降だけ、お店が開く。笑

ちょっとスーパーに!

どっこも開いてません。

でも夜は驚くほど賑やか!

一体どうなってるのこの街!?

観光をしたわけでもなく、

3泊4日、2本のライブをこなしただけ。

でもすっごいおもしろかった。  

どんなことが起きるかな!

 

続きは次回!

 

xx

 

tomiko

 

 

 

 

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