Jungla de Cemento 南米在住アーティストのブログ

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イグアス その3;寺 日本の宗教観

 研修を終え、一緒にアスンシオンから参加したひとみ先生と

なんにもない道を歩く。

本当になんにもない。。。

これじゃ車がなければ生きてもいけないな。

 

 

これが国道?

舗装されているのはこの大通り一本のみ。

なんてすごいとこなんだ。。。

 

しばらくあるくと、、、

お寺???

ん?

お寺っぽいけど。。。

という訳で寄ってみた。

 

鐘もある。。。

やっぱお寺だ!

 

ご住職さんが中を案内してくださいました。

禅宗のお寺らしく、座禅体験なんかもやっているらしい。

 

Allí como un templo en Iguazu.

Se puede experimentar Zazen.

Es la meditación budista.

www.zen-deshimaru.com

 

 Zen es lindo cultura japonesa también.

 

 

 

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ダルマさんの絵が飾ってあった。

私は宗教という面で信仰心がある訳ではない。

宗教を通じてものの尺度は決めないという意味だ。

宗教というのは人間の哀れさと自然の偉大さの架け橋であるものと思う。

日本的な考え方である。

自然は神、万物にも神が宿る。

それを感じながら、信仰し、生きること。

その一方で失われた魂へ祈りを捧げる。

日本で育った私の宗教観である。

多くの人はそうではないか?

万物に宿る神を信じつつも仏教の仏を祀る。

新仏集合といった誰もが持つ信仰心には

日本にもたらされた多くの宗教や土着の信仰が影響している。

例えば禅というものには多くの日本人が信仰を越えた親しみを持っている。

この不思議な感覚はいったい何なんだろう。

と子供の頃から日本の宗教ではなく、宗教観にとても興味があった。

海を越えると日本の宗教観について理解できる人はなかなかいない。

万物に神が宿るなんていう感覚を説明するのは難しいのである。

自然を崇拝し、人やもの、動物すべてに感謝と敬意を持つ考え方である。

それこそが私にとってこの世の一番の素晴らしさで

神とは教えを導く誰かではないのである。

そう、宗教が独裁政権のように見えてしまうことがしばしあるのだ。

それは風習の違いであって、とやかくいうつもりはないにせよ。

信仰心のない日本人などと言われると、やはり腹も立つ。

私は人の神を笑わない。

それは私の信仰心に背く行為であるからだ。

それだけははっきりと言っておきたいものである。

信仰は自由だ。

 

宗教で人を区別するくらいなら私には宗教は必要ない。

宗教で人と争うくらいなら私には宗教は必要ない。

宗教で人を愛せないのなら私には宗教は必要ない。

 

ご住職さんと少しだけお話をした。

とても素敵な方だった。

世界と平和と、自然についてお話しくださった。

 

 

 

日本人の宗教観について、とても分かりやすく語られているのが

このお坊さん。

 

youtu.be

conoce-japon.com

 

国民性なんて信じてもない。

しかし、自分の歴史には育ってきた環境がつきまとう。

その意味で

こういう部分を私は日本に生まれ育ったものとして大切に伝えていきたい。

 

xx

 

Ardi

 

 

 

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