Jungla de Cemento 南米在住アーティストのブログ

la voz del paraguay〜パラグアイで音楽、アート活動をするTomikoのブログ!Noisy Graphics! Rebel Music!

学歴=経済力の国

子供の日にこんなケーキを作ってきた息子さん。

かーえーらーしーのーーーーーーー!

しかも一つくれた!

やーさーしーのーーーーーーー!

 

パラグアイは2月に新学期が始まります。

もう3年生です。

みるみる大きくなっていく息子。

日本の小学校には1か月しか行けなかったから

比較できるもんじゃないとしても

こっちに来て、随分たくましくなった気がする。

勉強は嫌々だけど、スペイン語学校でも

友達とはうまくやってる。

すっげーうまくやってる。

街を歩いてたら潤平潤平と声をかけられる。

とにかく一切問題がない。

宿題と勉強しないのは大問題か。。。

 

この国の教育環境がいいとは言えない。

校門の外でドラッグ配ってるくらいだから。。。

けどね、ここには子供同士の関係があるの。

そんな子供社会に不器用ながら存在している我が子の姿が

私はすごく嬉しい。

ゲームの時代で、ケータイ画面ばっかみてるのは

パラグアイもおんなじ。

むしろ酷いです。日本より。

日本の場合、それは好まれない場合も多いけど、、、

こっちでは、豊かさの象徴なので、、、

イケイケゴーゴーです。

ほんと嫌気がします。

でもさ、なんだかここには日本にないものがある。

 

小さい子から大きい子まで年齢に関係なく

遊びの輪がある。

学校でも公園でも。

大きい子は小さい子をちゃんとケアする。

そういう当たり前の光景がある。

子供同士の社会のような。。

まぁ私は何故かそこに引きずり込まれるキャラだってのは

皆さんお察しの通り。。

 

そしてそんな子供たちもいつの間にやら

学歴や経済力などで人を選ぶようになっていく。

学歴=経済力の社会で、それ以外に人の能力を図る術を知らない。

そんなはかりに頼っているので、人を見る目も判断力も

勿論養われるわけがない。

そうして、このシステムはどんどん人を

盲目に、傲慢にしていく。

ああ、、、、

これでは誰もが本当の実力や適性を発揮できずじまいではないか。。。

真の才能がその行き場を失ってしまうではないか。。。

と私は思うのです。

 

だから、私はここでもっと、自由な発想力を養いたい。

いいえ、大それたことではない。

自分の範囲だけの小さな試みである。

小さな小さな周囲1mの試みなのだ。

 

まずはこの国に根強くある偏見を越える事。

それをどう表現していくか。

偏見の多いパラグアイで一番と言えるものは学歴差別

人種差別、階級差別、性差別、とにかく偏見をあげたらキリがないとはいえ、、、

 

若い時代は肩書の為に浪費するもんじゃない。

単位の為にノートをひたすらコピーするんじゃなくて

人間として必要な豊かさに触れる時間にしてほしい。

音楽でも芸術でも絵でも文学でも映画でも演劇でもなんでもいい。

心と頭を同時に刺激しなければいけない。

怒ったり泣いたり笑ったり喜んだり、貴重な時間をしっかりと

自分の感覚で受け止めなければいけない。

見た目や性別、年齢、人種、学歴、国籍、宗教、

そんなもんで人を図ってはいけない。

もちろん、学歴はあって損になることはないし、

勉学に励むことは大切である。

 

けどそれで人を判断することには、全くもって意味がない。

世界は広い。

その広さの分だけ、可能性がある。

可能性を蔑視して、排除しなければ。

 

この国では学歴こそが経済力を得るための手段なのかもしれない。

しかしそれだけでは貧富の差は広がり、人権はどんどん軽視されていく。

もう少し広い目で多くを見つめれば

埋もれた才能がドンドン花開くと私は思う。

そしてその視野を持つ人が

うずもれる才能を浮き彫りにしていくことで

若い世代にチャンスが広がり、

国は豊かになるのではないか。

 

パラグアイの息苦しさの一番の理由はここにあると思う。

どんな場面でも学歴学歴、芸術だって同じことだ。

学歴のない若いアーティストにチャンスを与えるギャラリーすらない。

まだ社会に学識のある人が少ないパラグアイでは

判断にあたってそれに頼らざるを得ないという。

??????

教育をまともに受けていない人が多く、

近代ようやく教育が一般化したらしい。

ということで学歴への欲求が膨れ上がっているということか。

こうして、貧困から学校に通えない子供は

いい仕事にもつけず

貧富による格差が生まれていく。

 

目を覚まそうぜ。。。

Justiciaは人間が良心として持ち合わせているもの。

肩書きを読まなくとも人は多くの判断ができるのだ。

タイトルを勝ち取る前から、誰もが持つ個人の素晴らしさに気付くべきだ。

 

先日のNコロ君にひきつづき。。

こんなのが!

見事なナマズ顔!

なんていう名前でしょう。

 

 Nコロ君↓↓

arditomiko.hatenablog.com

 

 

旧車よりも新車!

パラグアイ流だったはずだけど。

やはり旧車を楽しむというのはある意味豊かさの象徴で

この2年で随分近代化したということなのかなー。

 

相変わらず夜食を持って会いに行ってる。

うちの子にならへんか。。。

なんていいながら。。。

 

あああああ、

ほんとに飼いたい。。。

 

ドタバタしすぎて洗濯は夜になってしまう。

けど、共用だけど物干し場があるだけラッキーだ!

 

xx

 

Ardi

 

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