パラグアイ独立記念日+Vlog
Hola!
Tomikoです。
とはいえ、これは後に統治の為に定められた日付らしい。
スペインから独立したもののフランシア博士による独裁が始まるとのことです。
植民地支配、戦争、そしてほとんどの時代で独裁政権が続いたという歴史がこの国に大きな傷跡を残している。
フランシア政権もまた、滅茶苦茶な独裁政権なんだけど、ここからフランシアの甥、カルロス・アントニオ・ロペス初代大統領にかけて、パラグアイが一番栄えていたと言われている。
当時の独裁者は、やはり植民地支配からの脱却と言うことで、
地元色を打ち出した統治をしていたことで、南米各国で独立後は、農民たちにアピールした、独裁政権がうまれたらしい。
そんな独裁者をCaudillo/カウディージョと呼ぶのだとか。
これは近代の独裁者とは異なる扱いとなっています。
宗教弾圧や先住民族の虐殺を行ったアルフレド・ストロエスネルはカウディージョには多分含まれてない。
ヨーロッパからの白人、奴隷として連れてこられた黒人、そして、この地で暮らしてきた先住民族(海を渡ってやって来たモンゴロイドと言われている=黄色人種、けどレッドと一般的には呼ばれている。)
人種間の関係に加え、先住民族の部族間でもいろいろな柵があるらしい。この複雑な歴史は少なくとも現代もこの国の観念に大きく影響していると思う。
パラグアイの初代カウディージョである、フランシアはスペイン人同士の結婚を禁止したらしい。
(というか、それってすごい法律。。ありえなーーーい。そんなこと禁止されたくなーい!だれと生きるかなんて自由でしょ。なんだけど、、、笑)
こっちの独裁者は混血化を進めた。
支配の仕方は真逆。
そして政策に反するものは追放もしくは処刑。
恐怖政治のようなものだったらしい。。
滅茶苦茶やがな。。。
そういった政策の結果、現在は国民の97%が混血と言われている。
その他、鎖国政策、土地の公有化、義務教育などが代表的な政策だったらしい。
政治的には安定していて、とても豊かで、
盗人も飢餓もない国と言われていたらしい。。
いいんだか悪いんだか私にはわからないけど。
そんな、時代の始まりであろう5月を後の政治家たちが
独立の日に定めた。
そして英雄たちを選出した。
これが独立記念日の始まりらしい。。。
歴史と言うものはこういうもんなんだな。。
さてはて、話が長くなりましたが、、、、
放置していたので、
ブログにUPします!
手足口病の療養期間に、
気分転換に出かけました。
↓↓↓
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今年の独立記念日も、
また別の物語が。。。
もう滅茶苦茶で、現在もとんでもなく
ぐっちゃぐっちゃなんですが、、、
それはまた来年気が向いたら書きます。笑
ちなみに一昨年の独立記念日は
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グッと地球便の撮影でした。
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にぎやかなセントロの街!
こんなの初めて見た!
私、パラグアイに来てまともに遊んだこともない。
ずーっと仕事して、ずーっと仕事して、
あちこち連れて行かれたりもしたけど、
それも音楽の営業だったり、
あと、珍しい日本人だからって、
見せびらかされたり、
かと思えば、夜中で歩くなんて…みたいな文句も吐くほど言われてきた。
全然楽しくないし、ただ仕事して
ただ子守して、息抜きなんてゼロ。
毎日息苦しくて、
車にのっけて連れて行ってくれる人がいても
なんか退屈で、何度か途中で車降りて深夜に歩いて帰ったこともある。
とにかく退屈で、なんなんだこの国?!って思ってた。
で、2年ほど前から始めたのだ。
息子と冒険。
これが一番楽しい。
日常会話を必要としない私は早くも
AmorよりDineroより、別の話がしたい。
お・ん・が・く
ねぇ。音楽。音楽。という訳でほんとに
もうパラグアイをシャットアウトしてしまってるのかな今日この頃。
私の見た目と中身のギャップが
激しすぎるのも良くないんだろな。。
今は息子と冒険が一番の楽しみになってる。
音楽おばさんでいさせてくれる人=息子である。
おバカな冒険を一緒にしてくれる人=息子である。
成長するまでおもろいこといっぱいして遊ぼな。。
いろんな場所に二人で出かけるようになった。
夜のバスが危なかろうが知らん!
もう耳が痛い―――!
自由が欲しいーーー!
好きなとこに行きたいーーーー!
そんな自由が欲しい。。。
コロンビアから来たというこの人。
針金で作ったという彼の作品を見て
うわーーーーー!すっげーーーーー!なにこれーーー!
かっけーーーなーーーーー!
ってバカ丸出しの親子。
ここじゃ誰も興味持たないのに、、、
といって息子のために名入りのフォトスタンドを作ってくれた。
め、め、め、めっちゃかわいいやん。。。
なにこれーーーーー!
後ろにト音記号ついてるねん。
やばい。。。
テンションあがりまくった!
xx
tomiko