Jungla de Cemento 南米在住アーティストのブログ

la voz del paraguay〜パラグアイで音楽、アート活動をするTomikoのブログ!Noisy Graphics! Rebel Music!

a mi mama

別れは突然やってくる。

悲しい知らせ。

八月のことでした。

母の死。

74歳でした。

脳出血による急死。

 

 

母の死を知らせる姉からのメール、

後悔が押し寄せた。

内容確認よりも前に。

これといった親孝行もできずじまい。

申し訳ない。

と思った。

そして、開けるのが、怖かった。

けれど覚悟はできていた。

 

日本に帰りたかった。

でも無理だった。

どんなに急いでもお葬式には間に合わない。

時間的にも経済的にも

無理だった。

受け止めるしかなかった。

 

眠る母の写真を送ってもらった。

息子と一緒に見た。

時間の許す限りスカイプ

連絡を取って母の顔を見た。

 

納得はいかなくても

受け入れるしかない。

 

けれど葬儀までの数日

20年以上もまともに経験していなかったような

家族との大切な時間をすごせた気がする。

離れていても。

変わりはない。

 

悲しい知らせにたくさん泣いた息子。

 

息子と話した。

いつも心の中にいること。

誰もがいずれは死んでしまうけれど、

大切なものはいつも心の中でつながっていること。

 

空を見上げれば、お月さまが浮かんでいて

いつでも話ができること。

ばあばが恋しくなったらお月さまとお話しするから

ちゃんと聞いてね。

 

だから息子は言う。

ばあばは死んじゃったけど

ここにいるんやんな。

心臓のところ。

覚えてる。大丈夫。

4か月が経つ今、そんなことをたまに言う。

 

産み、育ててくれてありがとう。

まだなにも

返せてないけれど、

孫の顔を見せれてよかったと思っています。

それだけがあなたのダメな娘の

ちょっとした自慢です。

 

お疲れさまでした。

もう自由なんです。

あなたの好きな場所に

出かけてください。

怖がらないで。

もう自由なんです。

負うものなど

なにもないのです。

 

魂は重たい体を抜け出し

きっと今は、若い頃のように快活に

動き回っていることでしょう。

 

いつか私もそちらに行きます。

その時はゆっくり母と子としての関係としてではなく

外を散歩して花を見ながら、

力を抜いてお話しできたら嬉しいです。

 

色黒で典型的な南国人、パーツ全てが丸い父と

色白で顔はっきりタイプの東アジア人、面長な母の

のミックスである私は、

丸いけど若干長い骨格、色白の肌という

国籍不詳の形で生まれた。

 

モンゴロイドである先住民とコーカソイド、ところによってはネグロイド

ほとんどの割合でミックスされている、南米大陸では、

特に珍しい顔ではない。

モンゴロイドの中でも南米の先住系よりは、東アジア色が強いので、

ここではやや華奢で平坦な幼い顔立ちに見える。

けれどだいたい日本人より、パラグアイ人に見えると言われます。

 

よくわからない容姿で誰にも似ていない変な子供でしたが、

父と母の可能性をしっかりと受け継いだ存在なのです。

 

父も母も娘たちにそんな可能性を

自分の夢を重ね合わせ

期待していたと思う。

そのことは幼いころからよく感じていた。

応えられてないけれど。

 

日本にいたら、絶対に甘えてしまう。

一人で子育てすることが難しい。

けれど、遠く離れた今、

ある意味本当に自立できたと思う。

それがいい事とは言わないけれど。

 

高齢の両親に子育てを手伝ってもらうことに

引け目を感じていた。

私が生まれたのは父が44歳、母が38歳の時だった。

60過ぎても成人しない娘。

父も母も人一倍、体の無理をおして働いたと思う。

だから、私はパラグアイに来てよかったと思ってる。

そのことで最期には会えなかったけど。

私が両親を手伝える余裕もないダメ娘なだけに。。

せめては迷惑をかけずに暮らしていたい。

孫の顔を頻繁に見せてあげられなくなったけど。。 

どれだけ可愛くても、体が万全ではない状態で

毎日いたらいたで、大変であるのも確かだと思う。

無理をして楽しませてやろうと思ったり、

何か与えてやろうとしてしまうのも理解できる。

 

父にも母にも自分達の毎日を楽しんでほしいって思ってた。

娘や孫のことに振り回されるんじゃなく、

毎日を自分のペースで楽しんでほしいなんて、

勝手な願いだけど。。

だからね、もう頑張らなくていいんですよ。

って気持ちが一番強い。

 

ありがとう、お疲れさま。

もっとしっかりして、楽させてあげたかった。

母に見せたかった。

この国での生活を。

ここでのんびりスローフードを食べて、

元気を取り戻してほしかった。  

 

80歳の父には本当はこっちに来てほしい。

ここで、ゆっくりと一緒に過ごしたい。

という気持ちが本当は強い。

 

今日もお稲荷さん。

これぞ、家庭の味だ。

私はどんなオシャレな献立よりも

素朴な家庭の味が好き。

 

時間は逆戻りはしないけれど

私はずーっと知っている。時間軸の奥行について。

一瞬は永遠のように人の感覚の中に刻み込まれていると。

だから、悲しみの現実が今訪れても

縦の時間軸から失われるものがあっても

同時に広がる横の空間を

体の中に刻んで生きていたい。

 

そのすべてが現在の自分であり、

自分自身は両親によって生み出された。

遠い昔から続いてきた命の連鎖に

感謝を込めて。

 

母は私に最大のことをしてくれたから。

これ以上望むことは何一つないのです。

母は人生を全うした。

ほんの少し短かったかもしれないけれど、

母の人生を全うした。

今私の中に

おさまりのつかない想いがあるとすれば

それは母への私の至らなさに対してだろう。

 

母の素晴らしい人生を称えます。

感謝を込めて。

 

 

 

そして私は至らなさを背負って生きます。

しっかりと。 

 

お疲れさま。

ありがとう。

 

xx

 

Ardi

 

 

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