Jungla de Cemento 南米在住アーティストのブログ

la voz del paraguay〜パラグアイで音楽、アート活動をするTomikoのブログ!Noisy Graphics! Rebel Music!

じゅんぺいカメラ

真冬のある日

じゅんぺいカメラ

いつもママを追っかける

ちっこい男の子の視線

 

 

日本語教師育成基礎コースに毎日ついてきて

朝から夕方まで一人で待ちぼうけしてた。

私の優しい息子の目線。

 

あ!ワンコがいた!

 

 

ママさん、何か見つけたみたい。

 

バスーーーー!

 

シウダー・デル・エステに行く長距離バスです。

 バスの絵本が大好きだった幼児期の息子。

 

ボロボロになるまで一緒に読んだ

もぐらバス。

 

 

ピンポンバスも何度も読んだ。

 

 

3歳のころから一人で本を読むようになった息子。

毎日何冊も一緒に本を読んでいたから、

本を暗記して、文字との関連に気づいた。

ひらがなを教える前に勝手に覚えちゃったの。

 

最近は友達の影響で漫画ばっかりになったけど。。

でも、図書室で何時間も一人で集中して読書していられる子供です。

だから、研修の間もずーっと待っていられたの。

 

テレビゲームなんかも覚えて、

今はそればっかりやりたがって夜遅くまで友達の部屋にいるけれど。。

本にこれだけ集中できるポテンシャルがあるんだから、

テレビゲームなんてもったいないよ。。

って思っちゃうのはやっぱ親のエゴでしょうか。。

 

という訳で最近、本の読み聞かせをまた始めた。

時間がある時に、ちょっと難しい本を一緒に読むようにしてる。

ゲームの中のエンターテインメントはそれはそれで結構だ。

けど、感情豊かに、人生にもっと臨場感を持ってほしいから

私は想像することのできる物語や、理不尽や、悲しみや、美しさを描いたものを

一緒に息子と読みたいと思う。

 

さぁ。ここは現実。私たちが乗るのは、、、

こっちのバスね。w

 

パラグアイのバスはドア開けっ放しで平気で走ってます。

これ普通。

ラッシュ時はここから人が溢れてる。

 

ところで、今日は「じゅんぺい、爪はママに似てないな。」

って言ったら、ガーーーーーーン!ってなってた。

私の爪は縦長だけど、息子の爪は横長なのだ。

 

M「何でぇ、全部ママとおんなじやったらキモイやろ?」

って言ってんけど、

J:?????

M「違うからじゅんぺいかっこいいんやん。

ママとおんなじやったらかっこよくないやん。。」

J「え?そうなん?なんでーーーーー。」

M「ええやろうが、おんなじ顔やねんから。ちょっとぐらい。」

J「。。。。。。。。」

今は人と同じということを追いかけている年頃のようです。

そういう言動が結構ある。

小学校っていう社会で揉まれているんだな。と思う。

 

じゅんぺいが熱中できることに出会うまで、

いろいろチャレンジしてみようね。

うまく合わなくてもそれは仕方ない。

とにかく無我夢中で熱中できるものに出会ったとき

何か変わる。

人と同じかどうかなんて、考えなくなる。

 

私はドコをとっても人と違いすぎるので、

同じことにとても憧れたりする気持ちはよくわかる。

息子の家庭環境も母親も人と違いすぎるから、

私たちの普通はじゅんぺいの周りでは全く通用しないかもしれない。

けれど、じゅんぺいはまだそのことが嫌ではないみたい。

おかんがちょっと変わってる。恥ずかしい。という感じではなく、

まだ後を追ってる。

音楽もやりたいみたいだ。

家庭環境に関してはやはりその他との違いを知っているようだ。

最近は父親に対しての質問が多い。

普通に答えてるし、ただ一緒にいないだけで、

じゅんぺいにも父親はいるんだとしっかり認識している。

それはいいことだと思う。

 

私たち親子は幸いなことにいつもいろんな人に囲まれてきたし、

仕事や、環境的にも息子はこれまで

父親みたいな歳の人と接することが多かったと思う。

皆とっても気にかけてくれているし、とってもよくしてくれている。

抱っこに肩車、サッカー、カードゲーム、

日本でもパラグアイでも、いろんな人に

ずーっと遊んできてもらっているし、旅行も観光地も

普通の子供と同じくらい、もしかしたらそれ以上に行っている。

男手の足りなさは感じていないと思う。

女の人より男の人に甘える方が得意なくらいだ。

こっちでも普通にエラード食べたい!とか、

どこどこに連れてってほしい!とか、言ってる。

むしろそういう訳で男親が標準装備だったら、

最高なんだろうなと思っているかもしれない。

甘えたいっていうのがあるんだと思うよ。

そして、甘えさせてくれると思ってる。

 

父親がいないってことで寂しさはあると思うし、

人と比べてしまうこともあると思う。

けどいない分、周りの人のいいところを一杯見せてもらっているので、

嫌悪感はゼロで憧れや漠然としたおもしろいイメージを持っていると思う。

 

それがむしろ寂しさにつながるのだろうか。

あるかもしれない。

けれど、私と息子は二人だから、家族について深く考えないようにしている。

なにを考えてもどうしても、二人しかいいないものは仕方ない。

 

離婚してからしばらくは次の父親を意識して交際相手と接していたが、

今ではそんなことすら、アホらしいと思うようになった。

  

悩むことはいっぱいある、不安もいっぱいある。

自分を責めることもいっぱいある。

むしろそれしかないといっていいと思う。

けど仕方ないのだ。

 

特殊すぎる生活故に、悩みなんて打ち明けることもできない。

うかつに相談した日にゃ反感はかっても共感なんて一切得られないだろう。

そういう恐怖から人との距離は離れていく。

 

なにがあっても私が息子を育てきる。

という覚悟しかない。

それ以外は楽しむこと。

 

どうしもうもないことだらけだから、

ただ楽しく生きる。

そして、息子にとって安心できる場所が我が家であるようにしなくては。。

信頼できる母親であらなくては。。

それが一番難しいと思う。

 

いつも笑ってなんていられない。

泣き暮らしたいほどの時だってある。

イライラしている時、

なにもかもうまくいかない時、

どうしていいかわからないほど不安な時、

それがある意味、毎日だ。

 

どうすればいいんだろう。

どうすればいいんだろう。

 

悩んでも仕方ない。

楽しむしかないんだよ。

それしかない。

できる限りを楽しんで、

息子と一緒に楽しんで、

できる限りをそう、、、

楽しんで過ごすしかない。

 

そんな思いだけで

テンションをMAXにして

母親業をやってきた。

今振り返るとそうだったと思う。

声がでかすぎるなんてよく言われてたけど、

とにかく出かけてテンションをあげて、

思いつく限り楽しんできた。

 

良識も常識も

私にはあてはまらないのかもしれない。

間違いだらけ。

正解なんて一つも持っていないのかもしれない。

けれど、良心だけは持っていたい。

 

失敗ばっかりの母親でごめんなさい。

いつもいつも迷惑をかけてごめんなさい。

そして、スペイン語なしでごめんなさい。

 

 

xx

 

Ardi

 

 

 

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